三代目更勝 / 世界に一つだけの”きもの”を作ります。

(株)三代目更勝の軌跡

(株)三代目更勝の軌跡

三代目 青木新太郎は戦後葛飾区堀切に拠点を移した後、染色業界初になる絹地の型染め更紗の開発に着手する。

しかし、多彩な色と柄を使う更紗の型染めは技術と手間がかかり高価になるため数年間は問屋からは相手にされず、周囲からは罵声を浴びた。
それでも信念を曲げず試行錯誤の結果大成功を収め、江戸更紗を一躍有名にする。
これが現代における「江戸更紗」の基礎になった。

成功を手にした三代目に重要無形文化保持者(人間国宝)の声がかかる。しかし、型にはまる生き方を嫌いそれを断ってしまう。
当初は東京染色組合にも入っていたが、類似品の流出や効率を上げるための機械化(シルクスクリーン等)を嫌い脱会。時代の流れとは別に自ら独自の道を歩んで行くことを決意する。
まさに典型的な江戸っ子であった。

感謝状

そして三代目は社会貢献も怠ることはなかった。若い時には民生委員に従事し、困っている人がいれば身銭を切って助けた。時には感謝状を頂くこともありました。

賞状





江戸更紗の功績を讃え、百貨店の展示会では賞をたくさん頂き、昭和46年には高松宮両殿下も工房を見学に来て頂きました。

高松宮両殿下





昭和47年、隆盛の最中病気のため他界する。(享年71歳)




その後、現在の四代目 青木章三に受け継がれる。
温故知新の精神から更紗の故郷であるインドやインドネシアへ自ら視察に行くなど研究に励む。
そして現在、長年の夢であった”きもの”のロールスロイス、すなわちオーダーメイドの型染め”きもの”にたどり着く。
もちろん正装で着て頂いても結構だが、コンセプトは「趣味で着る贅沢なお洒落着」である。
着る人と作る人が通じ合うといった、また新たな境地を開いた。

経営は四代目だが、三代目の時に社名と商標登録を三代目更勝にしたので、現在も屋号は三代目になっています。
”きもの”離れが進み、同業者が廃業していく中しぶとく江戸更紗の孤塁を守っています。

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional